地学は役に立つ?

 地学は物理や数学とちがって役に立たない、という意見を目にすることがあります。はたしてそうなのでしょうか。

 もともと性格の違う科目を比較することに無理があるのですが、物理数学が他の分野の理解においても非常に重要で役に立つことは同意します。しかし「地学は役に立たない」というのはいささか短絡的思考であるように感じます。

 地学とはどんな学問なのでしょう。夜空や大地、大気や海や岩石のなりたち、いいかえれば身の回りの世界、を知ること。それが地学ではないかと思います。地学の魅力のひとつは、学校で教える内容でさえも、人類の知識のフロンティアに近いところに位置していることではないかと思います。地球も宇宙も、まだまだよくわかっていないことが多く、新しい発見が相次いでいます。

 自然科学の進歩は、我々を取り巻く世界の秘密を解き明かすことでした。地学はその中でも、物理や化学のような明確な、独立した体系と手法を持たず、地球や宇宙という対象にこだわり、その対象の秘密を解き明かすためにはいかなる方法も用いる、そういう学問の特質があるように思います。そのため、「役に立つ」という視点からはとらえにくい科目であろうと思います。けれども、自然科学の基礎はそういう部分を土台にしているのであり、逆に、未分化な性格を残している点が、地学の学問としての豊かさを形作っているものとも思えます。*注

 自然に対する知識・理解は、我々の生活を豊かにしてくれます。見慣れた風景の中にも、きっと発見があります。地形や植生、気象や地質にも、理由や秘密が隠されていることに気づきます。自然界の大きな時間の流れや巨大な動きが風景の背後に見えてくることに、わくわくしてくる。それが地学を学ぶことの魅力ではないでしょうか。お金にはならないかもしれませんが、それは本当に「役に立たない」ことなのでしょうか。

 これまで述べたことと少し意味あいが違いますが、すぐ役に立ち、お金になることを追究していった結果が、各地での環境破壊の問題や、自然災害にもろい都市機能なのではないでしょうか。 そんな現代的な課題、複雑に絡み合った問題解決のためには、まず自然に対してそのしくみをよく知ること、その姿勢が大切であり、第一歩なのだと思います。
 すぐには産業活動の役に立たない、地学のような分野こそ、むしろ長期的な視点に立つときに大事になるのではないでしょうか。阪神の震災の例を持ち出すまでもなく、われわれは自然災害の多い大地に住んでいます。それは自然の恵みと表裏一体のものでもありますが、われわれはそのことにあまりにも無関心であったように感じます。われわれのまわりの世界を知ること、それが地学だともいえるでしょう。

 天災は忘れた頃にやってくるといいます。けれども、これだけ技術の発達した現代都市で地震災害を防ぎきれないものでしょうか。地震そのものの揺れで亡くなる方はほとんどいません。地震災害のほとんどは家屋倒壊や火災に起因するものであることを考えると、必ずしも天災とばかりはいえない。地震災害を例に挙げましたが、都市型洪水や、各種の汚染、造成地などの問題は、まさに人間の営みと自然との関わりのなかでの災害という点で共通です。自然現象の性質をよく知り、対策を立てることで、ある程度まで被害をおさえることができるはずです。いま、地学を教える立場にある私としては、まず「知ること」の必要性への注意を喚起したいのです。

 たぶん、地学という学問は、世の中には私(我々、人類)が知らないことがたくさんある、ということを気づかせてくれる、そういう効用があるのではないかと思います。知らないからこそ、知らなければいけないと思う。自然と向き合う際に自己点検の必要性を感じることができる。災害や被害を最小限に食い止めるためには、そういった姿勢が必要に思えます。また、知識の確かさを常に検証する必要を学ぶこともできるのではないでしょうか。

 情報が氾濫する時代だからこそ、正しい情報を読みとり、自分で判断する力を身につけて欲しいと思っています。「(正しい)知識は力である」ということを強調したいと思います。また、特に報道や行政に携わる人や、これから関わる若い人に、地学の知識とその必要性・重要性の認識を身につけて欲しいと切に願います。

 高等学校での地学は、開講されない学校がきわめて多いのが現状です。高等学校での地学の履修率は、生徒数で全体のおよそ10%と推定されます。ここ数年の間に、火山災害や地震災害を我々は次々と経験してきたというのに、これが実状です。他の科目と比べてどうこういいたくないのですが、少なくとも地学の必要性や存在意義を広く知って欲しいと思います。


地学は面白い   (私は)地学のここが面白い!

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