一片の石ころから 遙かな昔の地球のダイナミックな姿が読みとれるとしたら、
それはすごいことではないか
小中学生の頃、当時はまだ採掘を続けていた日立鉱山の周辺に行って、どんな石があるのか、拾ってきたことがありました。
もともと水戸の郊外(関東平野北部)に生まれ育った僕にとっては、地層といえば砂や砂利ばかりで、立派な岩石の露出を見る機会はなかったのです。 図鑑に載るような岩石は、あこがれの存在でした。
ひと夏をかけて図鑑で調べて、その拾ってきた石ころが、角閃石片岩の一種であることがわかりました。そしてそれは、広域変成作用という、造山運動に対応するイベントの産物なのだという説明を読み、感動したのです。 (造山運動という概念は、現在ではプレートテクトニクスの言葉で置き換えられつつありますが)
ちっぽけな石ころから、遠い昔の、地球の大規模な営みが読みとれるなんて。その感動が僕の地学との関わりの原点です。
石ころは、手にとって調べることのできる宇宙(惑星)の一部である
星空のロマンは、世の中一般に受け入れられているのですけれど、足もとの汚い石ころだって、地球型惑星の進化の歴史を秘めた、貴重な惑星物質のかけらなのです。あまりにも身近なために、ありがたみに気づかないのではないでしょうか。他の惑星と差別してはかわいそうです。地球の、惑星としての特殊性と普遍性を見極めることができれば、石ころの意味づけも変わってきます。
火星探査機の送ってきた画像やデータが注目を集めましたが、それらの情報を読み解くためには、地質学の知識が不可欠なのです。21世紀の惑星科学は、岩石や地質の知識の土台の上に花開いていくことでしょう。
石ころは歴史を秘めている
地球史46億年のうち、約40億年ぶんの記録が、地層や岩石の中に閉じこめられています。海の記録、生命の痕跡、地球外物質、マントルのダイナミクス、大気の進化、そういったさまざまな地球史の問題は、岩石の記録を読み解くことによって扱うことができます。
石ころの言葉を読みとることができるようになれば、風景の中に、なにか、これまでとは違った世界が見えてくるかもしれません。
匿名の方から、タイトルが日本語としておかしいと指摘を受け、修正しました。感謝します。できましたら匿名ではなくお名前を明示してくださるとうれしいです。こちらは正体を明らかにしておりますので。