NHKジュニアスペシャル 第5回「大山脈の形成」 補足


VTR1

【アンモナイト】

 アンモナイトはイカ、タコ、オウムガイなどの頭足類と呼ばれるグループに分類される化石生物です。古生代に出現し、中生代に大繁栄しました。中生代末に絶滅して、現在は見ることができません。  スタジオで出したアンモナイトはVTRと同じ、ネパール産のものです。化石のまわりに地層の粒子の隙間に含まれていた水から、石灰分などが沈澱し、地層の中でそこだけ固い、丸い部分ができます。これをノジュール(団塊)といいますが、地層の他の部分よりも固いので残りやすく、河原のレキとして見られることも多いのです。この化石もそうしたノジュールに入っているものです。

【ヒマラヤ山脈】

 ヒマラヤ山脈が隆起したのは、いまからおよそ1000万年前からだと考えられています。ヒマラヤ山脈の高さは、エベレスト(チョモランマ)をはじめ、8000mを越えるピークがいくつもありますが、地殻の厚みから想定される高さは、せいぜい6000mであって、それよりも2000mあまり高くなっています。この原因は、インドとユーラシアの間にはさまれた変形しやすい地層が、インド側にはみ出すことであり、それで本来よりも高い山脈ができているのだ、と考えられています。  最近、エベレスト直下でおよそ5億年前の化石が発見されたり、巨大な地滑りの跡が報告されて、山脈の高さがもっと高かった可能性も指摘されるなど、ヒマラヤの成り立ちには関心が集まっています。

【先行性河川】

 ヒマラヤの隆起以前に、ユーラシアからインド方向に流れていた河川のいくつかは、山脈の隆起に対して、侵食によって流路を維持し、結果として山脈を縦断するように流れています。このような、山脈を断ち切って流れる河川を先行性河川といいます。隆起と侵食の速度が速いために、その両岸は切り立った崖になりやすく、ヒマラヤ山脈をつくる地層を観察するのに適しています。

【ヒマラヤ山中の化石】

 現在のヒマラヤができる前に、インドとユーラシア大陸の間には、テチス海と呼ばれる海が広がっていたと考えられています。温暖な浅い海の堆積物で特徴づけられます。この海の堆積物が、インドとユーラシアの衝突に伴って圧縮され、押し上げられて、現在の位置に現れています。

【ウミユリ】

 棘皮動物。ヒトデやウニの仲間で、現在でも深い海にいて、日本でも相模湾などにトリノアシなどの仲間が棲息していることが知られています。古生代には浅海に棲み、重要な造礁生物でしたが、硬骨魚類が発展した中生代ジュラ紀頃から衰退し、現在ではわずか数種類が生き残っています。

【ベレムナイト】

 中生代に繁栄した頭足類の仲間ですが、アンモナイトやオウムガイのような殻を持たず、現在のイカのような形態で泳いでいたと考えられます。甲の先端の部分が石灰質の棒状の化石として残りやすいのです。ドイツのゾルンホーフェンで発見された化石には、軟体部のかたちが残ったものがあり、それを見ると触手には吸盤ではなく鈎爪がついています。

【巨大アンモナイト】

 VTR中で発見されたアンモナイトは、全体の4分の1ですが、直径は60cm以上あったと考えられます。アンモナイトとしてはかなり大きいものです。世界最大のアンモナイトは直径2mあまり、日本でも1m以上のものが出ていますが、これらは例外的なものです。
 アンモナイトの「へそ」のところには、ベレムナイトの化石がいくつか付いているのがわかります。大きなアンモナイト化石のへその部分には、他の化石が見られることが多いのです。それは、海底で死んだアンモナイトの殻が流されたときに、へその下の部分は水流が当たらないので、他の小さな化石が流されずにそこに残るから、という考えがあります。

VTR2

【パンゲア】

 古気候学者で大陸移動説で有名なウェゲナーは、その著書「大陸と海洋の起源」などで、ペルム紀の氷河成レキ岩の分布と擦痕の移動方向(→第6回「氷河期襲来」参照)、グロッソプテリスなどの植物化石や、動物化石の分布、各大陸の海岸線の一致などの証拠から、かつて大陸は一ヶ所に集中していて、それが分裂して現在の姿になったと考えました。その超大陸がパンゲアであり、石炭紀後期〜ペルム紀にかけて存在していたと考えられています。パンゲアの南半球側はゴンドワナ大陸、北半球側はローレンシア(ローラシア)大陸として、別個に運動している期間が多く、両者の間に古生代末から中生代にかけてあった赤道付近の海は、テチス海と呼ばれています。

【パンゲアの分裂とプリュームテクトニクス】

 最近、大陸の分裂と移動開始の原動力は、沈み込んだプレートが上部マントルと下部マントルの境界部にたまり、それが下部マントルに落ち込む(コールドプリューム)ことによって反対に生じるマントルの上昇流(ホットプリューム)である、という考え方が有力になっています。これを、プレートテクトニクスに対してプリュームテクトニクスと呼びますが、プレートテクトニクスを否定するものではなく、定常状態を説明するプレートテクトニクスに対して、大陸の分裂や大規模なマグマ活動などの非定常の動きを説明する、いわばプレートテクトニクスの不備を補完するものがプリュームテクトニクスの考えとみていいでしょう。
 パンゲアの分裂は段階的に進行しました。中生代前半には、パンゲアをつくる北側のローレンシアと南側のゴンドワナの両大陸が、それぞれゴンドワナはジュラ紀(約1.8億年前)以降、少しずつ分裂しました。ローレンシアをつくっていた北米とヨーロッパは同じ頃に分かれはじめました。白亜紀頃(約1億年前)に南アメリカとアフリカ、南極、オーストラリア、インド、マダガスカルが分かれました。約5000万年前になって、グリーンランドと北アメリカの間のラブラドル海峡が開き、一方、インドとユーラシアは同じ頃に衝突を開始しました。

【インドの北上】

 インドがアフリカ、マダガスカル、南極、オーストラリアなどの大陸と分かれて、独自に北上を開始したのは約1億年前です。大陸の間にできた、リフト帯が新しい海洋底を生みだし、他の大陸と切り離されて、テチス海を狭めながらインドはユーラシア大陸に向かって北上を続けました。
 インドがゴンドワナ大陸から分かれて、北上していった証拠は、ウェゲナーが指摘したこと以外にもたくさん見つかっています。岩石に残された古地磁気のデータや、インドと他の大陸の間にある、インド洋の中央海嶺の存在と、その周囲の海洋底の年代分布などが主なものです。

 インドのデカン高原は、約6500万年前の大規模な玄武岩質火山活動でできた、溶岩台地です。これは、大陸を割るプリュームのひとつが生みだしたものと考えられていますが、その火山活動の名残は、デカン高原から南に、インド洋により新しい時代の海洋島や海山として続いています。これはプリュームが溶岩台地をつくったあと、ハワイなどと同じしくみのホットスポットとして、地表の同じところにマグマを供給し続ける一方、インドを含むプレートが北上したため、火山が見かけ上南に移動したように見えているのです。
 ビルの外装などによく使われる、黒御影と呼ばれる石材の多くは、このインドのデカン高原に貫入岩として分布するはんれい岩を石材として切り出したものです。

【インド産のダイヤモンド】

 かつてヨーロッパに最初に持ち込まれたダイヤモンドは、インドのレキ層中で採取されたものでした。その後、南アフリカなどでダイヤモンドを含む母岩のキンバーライトが発見され、採掘されるようになるのですが、インドには最近までキンバーライトは発見されていません。この謎を解く手がかりのひとつは、インドと南アフリカが、大陸分裂の前まで接していたということです。南アフリカのダイヤモンドを含むキンバーライトは、ジュラ紀(約1.4億年前)に噴出したマグマが固まったものですが、その時点ではインドはすぐ近くにあり、河川のはたらきでダイヤモンドが流され、インド側に集められていた可能性があります。やがて南アフリカとインドは分かれ、結果として遠く離れたところにダイヤモンドも運ばれたとも考えられます。

【ヨーロッパアルプス】

 ヨーロッパアルプスは延長1100km、4000m級の山が38もあります。アルプス(alps)とはとがった峰々を指す言葉で、現在も残る山岳氷河によって削られた地形が各地に見られます。とがった峰々が連なるのは、山岳氷河がU字型に谷を削り、削り残されたところがピークになっているためです。
 ヨーロッパアルプスの山岳氷河は、氷期がくるたびに成長し、削り取った土砂を氷河の前面や側方に積み上げました。それがモレーンとして残り、過去の気候変動の証拠となっています。ヨーロッパでは、モレーンの記録から第四紀に4回の氷期が識別されました。

【枕状溶岩】

 水中で溶岩が流れると、表面は水によって急冷され、急速に固結します。固結した表面部分が断熱材の役割も果たすので、内部は高温で流動性を保っていて、そのため内部の高温のマグマが表面の冷えた皮殻を破って流出します。流れ出たマグマは表面が急冷されてチューブ状になり、それが繰り返されて、枕状溶岩のつみ重なりができます。
 枕状溶岩は水中で溶岩が流れたことの証拠になります。氷河底火山でつくられる場合も知られています。枕状溶岩は、すでにある溶岩の間に垂れ下がるように新しい溶岩が積み重なるので、堆積した当時の重力方向を判別し、地層の新旧を決めるのにも役立ちます。

【地層の褶曲】

 アルプス山脈は、大規模な褶曲構造が見られることで知られています。古くから、その成因には議論があり、造山運動という考え方のもとにもなりました。
 褶曲構造は、地層の水平的な短縮の構造です。地層の幅が狭まる分、厚みが増大します。それが大山脈をつくる原因と考えられます
 地層が固くなっていた場合、あるいは短縮の速度が大きすぎる場合などは、褶曲ではなく断層で短縮を実現する場合もあります。逆断層や、その中でも衝上断層と呼ばれる構造は、褶曲と同じような地殻の圧縮でできる構造です。

【日本の山脈のできかた】

 日本の山脈は、その多くが約200万年前から隆起してできたものです。日本の山脈は、大陸の衝突ではなく、プレートの沈み込みの場に位置しているために、常に圧縮の力を受けていて、そのために地殻が厚くなり、隆起してできたものがあります。さらに、沈み込むプレートのために堆積物が日本の地殻に付け加わり、そのために地殻の厚みが増加し、隆起した場所もあります。
 衝突でできた山脈は、伊豆半島が本州にぶつかることで、その前面にできたと考えられる丹沢山地です。また、やや特殊ですが、日高山地も、東西の北海道をつくる地殻が衝突した結果生まれたと考えられます。

【日本は全体が巨大山脈】

 環太平洋地域には、日本列島をはじめ、火山や地震が集中するところが、太平洋を囲んで帯状に連なっています。大陸どうしの衝突ではありませんが、プレートが沈み込むところでは、地殻が圧縮されることとマグマの供給で地殻が厚くなり、山脈がつくられやすいのです。日本海溝の東側の海底は、およそ7000mの深さがありますので、そこから見れば日本列島は10000mの高さがあります。海水を取り払えば、日本全体が巨大山脈であると認識できるかもしれません。

【大陸が押されたら横にはみ出すか】

 大陸どうしの衝突の際には、その境界部では様々なことが起きます。全体に比べれば狭い領域ですが、側方への”はみだし”が起こっている部分もあります。
 ヒマラヤの周辺地域では、パキスタンなどで回転運動をした地塊があったり、変形した大陸の影響が見えるところがあります。インドとユーラシアの衝突の影響は、ヒマラヤとチベット高原を越えて、中国へも巨大な断層運動のかたちで及んでいます。中国で起こる内陸の巨大地震は、インドの衝突によるユーラシア大陸の変形に大きな原因があるのです。

【山脈の高さはどこまで?】

 山脈の高さは、基本的には地殻の厚みによって決まります。地殻はマントルに浮いた構造を持っていますので、厚みが増加すると、そのぶん海面からの高さも高くなります。しかし、あまり地殻が厚くなると表面の侵食が激しくなるので、山脈が無制限に高くなることはありません。地殻の底部が融けてしまうことも考えられます。現在のヒマラヤの高さは、山脈としては限界に近いものと考えられます。

2000/9/13 萩谷 宏


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