東京大学教養学部自然科学博物館



「自然科学博物館の構想」片山信夫
 東京大学教養学部報第15号 1952(昭和27)年9月24日



「これは句になる!」と思つたのだが、どうも花の名がわからない。「名もなき花」では句にも歌にもならない。という時には、博物館の一隅のセキ葉室を思い出して下さい。そこには日本に見られる草花のほとんど完全な標本が揃つています。それに季節のものでしたら、鉢植えの標本もできるだけ集めてあります。何年か先、自然科学博物館が完成したときにはこのような案内状も書いてみたいと思う。

この夏山を歩いて驚いたことはどんな山奥に行つても、ビニールのふろしきが女の手に抱かれていることである。これと同じような驚きが、人絹やスフについて語られたのは、つい先ごろのことであつたが、今日では化学繊維工業はその生産力でも、その製品の品質でも、全く天然繊維工業と対等のものになつている。その技術の飛躍的な進歩を理解せずには、化学工業の経営や日本の貿易を云々する資格はない。この方は博物館の完成を待つまでもなく、この年末に豊富な資料と実物標本の特別展示会を開く段取りになつている。

しかし重工業方面になると現場から離れた、小さな展示では実感も出ないし、理解も困難である。これはむしろ直接工場へ見学に行くに限る。まずその手始めとして、十一月ごろの秋晴れの日を選んで、浦賀ドツクの造船所の見学会を催したいと思つている。

日本で科学博物館といえば、上野のあれが代表者であるが、あれは義務教育の水準をねらつた教育博物館であつて、もちろん教養学部の博物館の手本にはならない。また専門家の研究のための研究博物館とも違うことはもちろんで、一口にいえば、より優れた社会人としての教養のための博物館ということになる。

従つて将来専門に進もうとするものや、同好者のグループにとつては、あるいは食い足りない感がするかもしれない。

陳列のテーマの選び方、それに必要な楼本の採集、模型の製作、図表の作成説明の作文などを、一つでも真剣に手がけたならば、へたな講義を一年間聴くよりも遥かに身につくことが多いと思う。

陳列は一つのテーマのものを半永久的放置しておくようなことをせず、十分陳列の目的を達したと思われるものから、順次新しいテーマに関係した講演会を開催し、部外から講演者を招いてその専門をわかりやすく話してもらうことにする。

経費の比較的かからない行事といえば、講演会なので、前述の展覧会や見学会以外の行事としては、当分の間講演会を主体としていくことになる。

講演会といつても、単に講演を聴くというだけのものではなく、演題に関係した標本や参考資料をなるべく豊富にとり揃えて、会場に展示するとともに、内容によつては聴覚よりも視覚に訴えて、科学映画を利用する、それらの材料は当学部としてまだ用意もないので、主として講師各位の御厚意に甘え、差支えのないものであればそのまま寄贈していただいて、将来の準備としようという、慾張つた考えである。

寸暇を利用して山野をかけ回り、貴重な標本の蓄積に努力しているのである。この夏もあるものは大雪山のふところに分け入つて、世界でも例のない自然水銀のしたたる鉱石を求めてきた。

さて本年度の講演会であるが、その第一回は、去る九月六日の午後、近代産業の基盤である石炭についての浅井一彦(石炭総合研究所長)、田代修一(三井鉱山監査役理学博士)両講師の講演と、万国地球物理学連盟総会で絶賛と博した科学映画「大島の噴火」についての、諏訪彰講師(中央気象台火山係長) の説明とがあり、ひじような成功を収めた。第二回は十一月ごろに物理関係のものを、また第三回は正月ごろに稲に関するものを予定している。

自然科学博物館準備委員会の行事が講義一辺倒からくる欠陥を、いくつかでも補つて、新鮮な刺激を与えることができれば幸いである。

自然科学博物館準備委員会は、去る四月に発足したばかりで、自然科学関係の各教室から一名づつの委員が出て、博物館の準備段階の仕事に当つているのであるが、このような仕事は、小人数の智恵では、とかく視野が狭くなりがちであるから、博物館の意義を認めこの種の仕事に興味を持たれる方は、ぜひ積極的に忠告なり意見なりを、委員会にまで申し入れていただきたい。また標本や資料の蒐集には学内学外の広い範囲の協力を仰がねばならぬので、この点についても、ぜひ本紙の読者諸兄の御同情を願いたい。(教授・地学)

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*文中「セキ葉」のセキは「にくづき」に「昔」という漢字です。


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